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畳縁

妙輪寺ご縁者

妙輪寺 総代 齊藤 武雄
 

 妙輪寺は子供の頃、祖母に連れられ月に一度はお墓参りをしていました。「今日は誰々の月命日」とか、「此処が親戚のお墓」等々を聞きながらお墓参りをした程度でした。父の葬儀後、先々代のより継承式を執り行う旨のご連絡を頂き出向き式を執り行って頂きました。

 

 現在は総代の大役を仰せつかり、重さを痛感しております。お寺を取り巻く状況は核家族化、ライフスタイルの変化、高齢化・少子化などの影響を受けざる負えない現状にあり、これらを見据えた対応が不可欠に思います。

 

 古来よりお寺と檀家は共存共栄してきた歴史があり、この関係は檀信徒の方々が気軽に来られるようなお寺だったからだと思います。現住職はすでにこれからのお寺を描き着手されているのが伺えます。寺ヨガや治療院の開院がその一環だと思っております。

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妙輪寺接骨院 院長 湯川 四郎
 

 平成28年に開院した妙輪寺接骨院で檀信徒の健康増進のために院長として務めてくれないかと住職からお声をかけて頂いたのが全ての始まりです。先代住職が使用していた治療院を全面リニューアルして診療できるご縁をとても幸せに感じます。

 

私事ではございますが、妙輪寺本堂にて住職による仏前結婚式を厳修して頂きました。それをきっかけに妙輪寺の信徒となり、現在お経や仏教について勉強中です。

 住職がよく仰る「本堂で精神を、接骨院で身体を癒せる、檀信徒だけではなく地域住民の健康・福祉のためのお寺」のお手伝いをさせて頂きます。

妙輪寺 檀家 植木 貞之

 元々福岡出身なのですが、仕事のために大磯に住んで40年以上となります。そこで問題となったのが福岡にある先祖の墓でした。たまたまご縁があり妙輪寺の墓地を見に行き、先代住職の気さくな人柄がわかり、妙輪寺の檀家となることを決めました。私と妻の納骨用空間を確保するため、新しい墓地には両親の骨壺だけを入れて、残った先祖の骨壺は境内にある永代供養墓「天成廟」に入れてもらうことにしました。これで心配していた墓問題は解決しました。

 

 先代住職が亡くなって、その後の妙輪寺がどうなっていくのか気がかりでしたが、現住職が早々に跡を継ぎ、立派な住職になられたことをうれしく思っています。また、先代とは違ったカラーを打ち出して、妙輪寺を発展させようとする意欲を感じています。

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妙輪寺 信徒 川田 和弘
 

 平成27年8月に祖母が94歳で、翌年の3月に父が64歳で他界しました。元々私の家系は横浜の日蓮宗寺院の檀家でしたが、法外なお布施や、そのお寺の住職の考え方など納得できないことが多々あり、そのお寺を離檀したばかりの時に祖母が亡くなりました。葬儀で親戚家族が困っている事を妙輪寺の現住職に相談したところ、妙輪寺で葬儀をしていただくこととなりました。祖母の人柄など家族に親身になって聞いて下さり、素晴らしい法号を付けて頂きその意味も丁寧に説明して貰いました。葬儀を妙輪寺であげて頂いて亡くなった祖母も安心しているのではと思います。

 祖母の後を追いかける様に父は癌で亡くなり、その時も住職にお世話になりました。助けて頂いた分、住職や妙輪寺にお返しする事が祖母や父の供養になると思い、妙輪寺の信徒となった運びでございます。

観音教会 修徒 可知 雅康

 私は30歳を過ぎて僧侶になりました。それまでは、宗教とは何か、心とは何かと一人で悩み苦しみ、偉い宗教家の方がいると噂を聞けば、日本中どこでも向かい、いろいろな方に会い、教えをいただき、自分では修行のつもりで放浪のようなことばかりしていました。

 

 住職が修行により培ったご経験から、法要の在り方を一から見直した妙輪寺の施餓鬼法要(お盆の法要)は、仏様の教えを声明の「音」に乗せて、厳格にそして荘厳に、そして真心の篭った読経をお釈迦様、亡き精霊に届け、供養を施すことを根本とされており、とても勉強になり刺激となります。僧侶になって経験の浅い私を、影からいつも支えてくださる住職に心から感謝の気持ちを申し上げます。 

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妙輪寺 寺ヨガインストラクター 山本 奈津子

 

 大磯町でカフェを始めることとなったのですが、妙輪寺様から徒歩2~3分のご近所だったこと、住職が檀信徒の方々や地域住民のための健康増進のためにお寺で体操などを始めたいと考えてらっしゃったこと、そして私の活動テーマでもある「東洋医学と西洋医学の融合」に関して住職が共感してくださったこと・・思い返せば、たくさんの偶然と共鳴があり、妙輪寺で寺ヨガを始めさせていただくこととなりました。

 

 皆、お寺でヨガレッスンができることに、とても喜びを感じています。お寺で、しかも本堂で行わせていただくヨガは格別なものです。参加される方もインストラクターも、皆心穏やかな時間を過ごせているように感じます。ぜひたくさんの方が、ヨガと出会い、様々な気づきを感じ、健康になっていただけるよう願います。

妙輪寺 檀家 矢口 明弘

 

 妙輪寺とのつながりは、祖父母の墓を建てる為に、大磯に住んでいた親戚の紹介でした。小学生の頃は、毎年夏休みに半月以上大磯の親戚宅でお世話になっていました。小学生の2年、3年と続けて同級生と親10人以上で妙輪寺に泊まったことがありました。若かったので一晩中大さわぎをして、先々代の住職に怒られた事もありました(笑)。

 

 少子・高齢化の進む世の中、どこのお寺も檀家数の減少している中で、今の現住職は、様々な画期的なアイデアでお寺の敷居を低くしてくれています。檀信徒の健康増進や福祉に関して、ここまで取り組んでいるお寺は他にはありません。私は妙輪寺の檀家であることを誇りに思います。

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妙輪寺 寺族 熊澤 純

 

 妙輪寺の現住職の兄で現在、インターネット通販「Amazon」でジェネラルマネージャーとして勤めています。今は弟である現住職が立派にお寺を継いぎ、お寺を整備し、先代である父親の世代には無かったお寺附属の医療施設や寺ヨガなど、新たな試みを実施しています。その姿を見ていると、先代である父親の血を受け継いでいるのだなと感じます。

 

 私自身は表舞台に出ることはあまりありませんが、妙輪寺の事務係として、様々な裏方の仕事を担当しています。特にお寺のIT関連の仕事を担当していて、妙輪寺のIT化の手助けをさせて頂いています。地味な取り組みではありますが、これからも裏方として住職をサポートし、妙輪寺を支えていきたいと思っています。

妙輪寺 寺院葬担当 髙島 秀勝

 

 元々、葬儀社の正社員として勤めていましたが、祖母の葬儀の高額な葬儀代に後悔と疑問を抱えました。自分の身内の葬儀の経験や、葬儀社の利益のための高額な葬儀費用に疑問を持ち令和元年に独立し「髙月想送」を立ち上げました。

 

 妙輪寺ご住職も葬儀社の高額な葬儀費用に疑問を持たれていたようで、檀信徒のために何とかならないかと、葬儀の在り方について勉強をされていたようです。ご住職とのご縁を頂きまして「檀信徒のため、無駄で不要な費用がかからない心がこもった葬儀ができないか?」とご相談を受けまして、妙輪寺本堂で葬儀をさせて頂くこととなりました。低費用なのに格式高い「妙輪寺のお葬式」を是非ご利用下さい。

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妙輪寺 住職 熊澤 日吏
 
 幼い頃から父の海外布教のためアメリカで育ちました。アメリカの大学で医学を学んだ後、様々な国で医学を勉強し、日本へ帰国してからも医学を勉強し、医療従事者として勤めていました。妙輪寺の先代住職であった父が遷化(僧侶の死)されて、妙輪寺の七十代目の住職を務めさせて頂くこととなりました。
 
妙輪寺の山号は「福聚山」です。つまり「福」が集まるお寺ということとなります。妙輪寺住職としての願いは、妙輪寺とご縁のある方全てに「福」をお届けすることです。

 「妙輪寺に出会って良かった」というお言葉を頂けるように、日々精進しています。皆様のご来寺お待ちしています。

妙輪寺 檀家 成田 和加子

 

 私が45歳の時に主人がガンになり、3年6ヶ月の闘病でした。そんな時、大磯にお墓が欲しいと思っていたところ、妙輪寺さんとご縁があり、今に至っております。先代住職のお導きにより、何度も心が救われたことを今でも覚えています。

 

 主人は長男で、ご先祖様をご供養していましたが、主人が亡くなると、私と主人の兄弟間で揉めてしまいました。私は母に「関わるのが嫌だから、ご先祖様を二男に返したい」と言ったところ、母は「何を言っているの‼ ご先祖様は宝だよ。」と諭され、ハッと目が覚めました。


 周りの人に支えられ教えて貰い、これからも正しい道を生きて行けるよう、信仰し続けてまいります。

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最上寺 住職 今吉 海秀

 

 縁あって妙輪寺の先々代の弟子となり僧籍に身を置くこととなりました。平成3年4月、湯河原の最上寺住職を任されることになり、入寺式の際には妙輪寺の総代世話人や檀信徒の方々も駆けつけて下さいました。その後、師匠の命令で兄弟弟子でもある妙輪寺先代住職と共に本山龍口寺に奉職することとなり、9カ年の間勤めることなとなりました。

 

 突然に妙輪寺の先代が遷化(僧侶の死)されました。御子息である現住職が跡を継がれるということで、ここは先代の兄弟弟子の私がやるしかないと思い、かつての師匠である妙輪寺の先々代がそうであったように、私も新住職のために精いっぱい補佐させていただくつもりです。

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